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シウマイ開発秘話

秘話1:そもそも何故シウマイなのか?
横浜風シウマイ 1920年代半ば、「崎陽軒の名物を考え出さねば」と考えた野並茂吉社長(当時)は、そのヒントを求めて横浜の南京街(現在の中華街)を食べ歩きました。そして、ほとんどの店で“つきだし”にシウマイが出されていることに気づいたのです。「味は日本人の好みに合っているし、南京街のどこでも食すことができる――これは横浜の名物になる!」と直感した野並社長は、さっそく“横浜風シウマイ”の開発に取りかかったのです。
秘話2:冷めてもおいしく!?
呉遇孫 南京街の「シウマイ」にヒントを得た野並社長は、早速、二人の「参謀」――当時よく行動を共にしていた新入社員、久保健(故人・後の代表社員)、そして彼が南京街からスカウトしてきていた呉遇孫(ごぐうそん・故人)という菓子職人――と新製品の開発に取りかかりましたが、出来上がった試作品を口にして思わず頭を抱えてしまいました。蒸した状態だと抜群においしいシウマイも、冷めた状態で食べるとそのおいしさが半減してしまうのです。崎陽軒がシウマイを折り詰めにして販売するためには、この“熱”の問題をクリアしなくてはなりません。この困難な問題に野並社長はひるむことなく、「三人の力を合わせて研究を続ければ“冷めてもおいしいシウマイ”はきっとできる!」と開発をますます加速させていったのです。
秘話3:冷めてもおいしい!!
 シウマイをベースとした新製品の開発がスタートして一年、野並社長、久保、呉の3人は、ついに“冷めてもおいしいシウマイ”を完成させました。そのヒントとなったのがホタテの貝柱の風味でした。厳選された豚肉に貝柱のコク味を組み合わせることで、互いのうまみを引き立てあう独自の風味に仕立て上げ、冷めてもおいしさを維持できることを発見したのです。さらに3人は、揺れる列車の中でも食べやすいように、大きさを1口サイズにするなどの工夫を凝らしました。こうして、ヨコハマ名物“崎陽軒のシウマイ”が誕生したのです。
シウマイ旅情
「き〜よぉ〜け〜ん〜」のメロディでおなじみのCMソングの原曲となった「シウマイ旅情」ソノシートのジャケット(昭和43年)。
当時開通したばかりの新幹線の中で、崎陽軒のシウマイを“手軽に”“おいしく”楽しむカップルの姿が印象的です。
秘話4:“真空パック”は崎陽軒が名づけ親!?
発売当時の電車中吊り広告
発売当時の電車中吊り広告
冷めてもおいしい“崎陽軒のシウマイ”の完成から40年、日本経済が目覚ましい発展を遂げはじめた1960年代後半、崎陽軒に“真空パックシウマイ”という新しい仲間が誕生しました。「真空パック」という表現は、今でこそさまざまな商品で見かけますが、この言葉を使ったのは、崎陽軒が最初でした。そして、この“真空パックシウマイ”の開発の裏側には、父・野並茂吉の跡を受け継いだ2代目・野並豊社長の決意と努力が隠されていたのです。 きっかけは、新幹線の開通など、国内の交通機関が飛躍的に発達したことによって、「田舎のお土産にシウマイを持って帰りたい」という声が相次いだことにありました。もちろん、全国の皆さんに崎陽軒のシウマイを食べていただくことは創業当時からの夢ではありましたが、何しろシウマイは生もの。そこで豊社長は研究スタッフを集め、シウマイの美味しさを長持ちさせる方法の研究をスタートさせたのでした。
秘話5:横浜の味を全国で味わえる“真空パック”が完成
真空パックシウマイ”
時代の流れとともに改良を重ねることで、お客様から愛されつづける“真空パックシウマイ”
 研究チームは「缶詰」、「冷凍」、「真空包装」という3つの選択肢から真空包装に着目したものの、当時はまだ誕生したばかりで技術的には発展途上…。それでも豊社長は「よし、お客様が一番便利な真空包装でいこう!」と決断しました。そして1967年、ついにシウマイの真空パックが完成。蒸したてのシウマイをフィルムに包んで空気を抜き、さらに殺菌することによって、味と香りを封じ込め、簡単に温められるものでした。しかし、これで終わりではありません。その美味を実証するために、モニターによる試食という関門をクリアしなくてはなりません。祈るような気持ちでモニターの反応を見守るスタッフたち…。すると、試食を口にした550名のほとんどが「これはうまい!」と絶賛してくださったのです。これによって確信を得た豊社長は“真空パックシウマイ”を商品化。常温で10日間、5℃以下なら一ヶ月保存が可能な新商品の誕生によって、崎陽軒のシウマイが全国で販売されるようになりました。そして現在では、常温で5ヶ月程度の保存が可能で、電子レンジで直接温められるように改良され、全国の皆様に「横浜名物」の味をお届けしています。
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