
1920年代半ば、「崎陽軒の名物を考え出さねば」と考えた野並茂吉社長(当時)は、そのヒントを求めて横浜の南京街(現在の中華街)を食べ歩きました。そして、ほとんどの店で“つきだし”にシウマイが出されていることに気づいたのです。「味は日本人の好みに合っているし、南京街のどこでも食すことができる――これは横浜の名物になる!」と直感した野並社長は、さっそく“横浜風シウマイ”の開発に取りかかったのです。
南京街の「シウマイ」にヒントを得た野並社長は、早速、二人の「参謀」――当時よく行動を共にしていた新入社員、久保健(故人・後の代表社員)、そして彼が南京街からスカウトしてきていた呉遇孫(ごぐうそん・故人)という菓子職人――と新製品の開発に取りかかりましたが、出来上がった試作品を口にして思わず頭を抱えてしまいました。蒸した状態だと抜群においしいシウマイも、冷めた状態で食べるとそのおいしさが半減してしまうのです。崎陽軒がシウマイを折り詰めにして販売するためには、この“熱”の問題をクリアしなくてはなりません。この困難な問題に野並社長はひるむことなく、「三人の力を合わせて研究を続ければ“冷めてもおいしいシウマイ”はきっとできる!」と開発をますます加速させていったのです。
![]() |
「き〜よぉ〜け〜ん〜」のメロディでおなじみのCMソングの原曲となった「シウマイ旅情」ソノシートのジャケット(昭和43年)。 当時開通したばかりの新幹線の中で、崎陽軒のシウマイを“手軽に”“おいしく”楽しむカップルの姿が印象的です。 |
![]() |
| 発売当時の電車中吊り広告 |
![]() |
| 時代の流れとともに改良を重ねることで、お客様から愛されつづける“真空パックシウマイ” |